ポーランド・クラクフに来たら絶対に行こうと思っていた場所。
ドイツ最大の負の歴史とも言えるし、もしかしたら世界最大規模の虐殺の歴史かも
しれない場所が、ここクラクフからバスで一時間半ほどの距離にある。
バス代は往復で24zl(約700円)。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所と呼ばれるその場所を、全く聞いたことがないと
言う人はいないだろう。第二次世界大戦時に多くのユダヤ人が強制収容された場所であり、
また虐殺された場所である。
自分がこの場所を知ったのは恐らく小学生のころ。
世界の偉人の伝記シリーズ(漫画)を読み漁っていた時に、アンネ・フランクと言う人物
(後に「アンネの日記」と呼ばれる書籍が出版されたことで有名になった)
の伝記に出会い、そのストーリーからアウシュヴィッツの存在を知った。
その伝記には、当時多くの罪のないユダヤ人が強制的に連行され、
働かされ、そして最後にはガス室送りにされ殺されてしまったと書いてあった。
あと少し生き延びれば戦争が終わったというタイミングで、アンネ・フランクも病を患い
亡くなってしまったと書かれていたことをよく覚えている。
当時の自分は恐らく第二次世界大戦のことを良く知らなかっただろうし、
ユダヤ人という人種の存在も知らなかったと思う。
だからこの出来事は自分とは全く関係ない世界の、全く関係ない出来事だった。
でも今は少し違う。
第二次世界大戦を学んだし、ユダヤ人・ユダヤ教を学んだし、
それに様々な世界を旅して歩いてきた経験がある。
そんな今だからこそ、この歴史上最も多くの人が殺されたであろう出来事を
改めて考え感じてみる必要があるだろう。
そう思って、この場所にやってきた。
シーズン外であればガイド無し入場も可能であり、その場合の入場料はタダ。
ほんとはガイドを付けた方が一か所一か所への理解は深まるだろうけど、
英語でされるガイド(日本語もあるらしいけど予約必須とか)じゃ理解しきれないし、
何より自分のペースで周れないのが嫌なので自分たちで勝手に見て周ることに。
敷地は結構広く、ほぼ全ての棟内に展示物があるため、1個1個見て周ると数時間はかかる。
ガイドと一緒に周ると入らない棟もあるみたいだけどね。
そういう棟は人が少なく見やすくてありがたかった。
同じような棟が敷地内たくさんある。 ユダヤ人は完全に根絶されるべき人種だ。がナチの考え。 ここは灰色の世界に思えた。夢も希望もない、あるのはただ・・・ 処刑された人たちの靴。他にもカバンなどの遺物がたくさん展示されていた。
大量虐殺の歴史という意味では、ここはカンボジア以来の場所。
歴史的な順序で言えばこっちの方が先に行われたんだけどね。
歴史は時と時代を変えて繰り返す。
カンボジアとアウシュヴィッツとじゃ歴史的背景も状況も違うけど、無実の人が大量に
殺されたという事実だけ見れば同じだ。
何故こんなクソみたいなことが繰り返されるのか。
なぜ戦争は繰り返されるのか、という問いに似たような疑問。
世界を旅してると余計に考えてしまうこの問いに対する答え。
その答えはシンプルに、僕らが人間だから、生き物だから、だと自分は思っている。
皆同じ人間なんだから、同じ地球上で生きる生物なんだから、
お互いを理解し協力し合いながら生きて行こう、なんて風なことはよく言われることだろう。
それが出来たらどんなに素敵なことか。
だけどそれは無理なんだよね。
習慣も文化も価値観も異なる人間が理解しあえるなんて、ただの幻想だ。
結局人は異なる人と分かり合う事なんて出来ない。異なる文化を受け入れるなんて、
そう簡単に出来るもんじゃない。これが出来るなんて言う奴は
一度世界中を旅してみればいい。自分が絶対理解できないことがそこにはあるから。
アウシュヴィッツの出来事について少し思う事。
何故ユダヤ人がこんなにも嫌われ、迫害されていたか。
自分の考えでは、それはユダヤ人がユダヤ教を信仰し、それを自らの礎としていたからだ。
ユダヤ教って、選民思想、つまり自分たちは神の子として選ばれた人間だとしてるんだよね。
これはこの世の終わりが来たとき、ユダヤ教の人だけが生き延びて、他の人たちは全て滅びる
という結末に向かうってこと。
ここがキリスト教やイスラム教徒異なる部分で、キリスト教とかは所謂”信じる者は救われる”
だもんね。
こんな自分勝手な考えを持った民族、他の人からしたらなんだコイツらってならない?
そんでもって、彼らは世界のどこへ行ってもその場所の文化に交わろうとせず、
自分たちの信じるものに従って自分たちの文化で生きていたらしいんだよね。
郷に入っては郷に従えなんて言葉、彼らの辞書にはなかったらしい。
そりゃ嫌われるよねって話。
おまけに彼らは頭が良くて、商売なんかもうまいことやっちゃうから人の妬みも買う。
だから彼らには常に迫害されてきたという歴史があるんじゃないかなと。
自分たちと異なる文化を持つ人を完全に理解しようなんて、絶対無理な話なんだよ。
おれ絶対インド人好きにならないもん。1人1人で見たら好きな人もいるし、良い人も
いるのもわかってる。だけどインドに言ったら、やっぱこいつらクソだ!ってなるのも
もうわかりきってる。
理解はできない、だけど理解できないから排除しようとはならないよね。
異質なものをただ排除しようってのは明らかにおかしい。
じゃあどうすれば良いかって言ったら、多分尊重すればいいんだと思う。
理解はできないけど、相手には相手の文化があって、歴史があって、そうやって生きて来た
という事実は変えられないんだから、少なくともそれを尊重してあげる姿勢が大事かなと。
もっと雑に言えば、まぁあなたはそうやって生きて来たんだもんね、ってほっときゃいい。
それを自分に合わさせようとして、合わせないなら排除しようなんてことになるから
おかしなことになるんだよね。
もちろん相手が自分に対して相手の文化を強要してこようとしたり、自分を排除しようとして
来るのなら話は別だけどね。
でもアウシュヴィッツの話に戻って、多分ユダヤ人はそれはしてなかったと思うんだよな。
勝手にドイツがユダヤ人を恐れて、勝手にやられる前にやれ精神で虐殺した。
だからアウシュヴィッツの歴史は最悪の歴史なんだと思う。
こういう話をうまく展開するのもまとめるのも苦手だ。
だから思う事を思うままに記しておく。
いつかこの記事を改めて見返したとき、あの時の自分はこう考えてたんだなってのが
ちゃんとわかるように。
アウシュヴィッツへ行って、こんなこと考えたんだなってね。
そうした行為も、多分歴史を振り返るという大事な行為なんだろう、なんて。
とりあえずまとめとして、
人は人に恐れを抱かずにはいられない、人を理解することは出来ない、
だけど人を知ること・尊重することは出来るはずだから、歴史に学ぶことは出来るはず
だから、せめて同じ悲劇を繰り返さないことが大事だなと。陳腐な言い方だけど、
アウシュビッツでそう思ったということで。