暑い・・・ラオス・・・どこ行っても・・・暑い・・・
フルーツシェイクは1日1杯までにしておいた方が良いらしい・・・
ルアンパバーンで一番有名なものと言ったら、僧侶たちの朝の托鉢だろう。
托鉢とは、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞い、
信者に功徳を積ませる修行のことを言う。
一見僧侶たちのその日の暮らしのためにやっているのかと思いきや、
信者が功徳を積むために僧侶たちがわざわざ食べ物をもらいにいくとも受け取れる。
そんな行為がここルアンパバーンでは朝の5時半からやっているというので、
早起きして見に行くことに。
5時半ちょっと前にメインストリートに行ってみると、既に観光客と地元の人が待機している。
いや、むしろこれは9割観光客ではないだろうか・・・メインストリートだからかな。
物売りのおばちゃんたちが観光客用の托鉢セットを売っており、観光客もそれを買って
功徳を積むことが出来るらしい。
待つこと10分。どこからともなく僧侶たちが現れた。
大人から子供まで、列をなしてお寺からやってくるようだ。
地元の人はもち米を手でちぎって僧侶の持つおひつ(?)の中に入れている。
観光客用の托鉢セットにはお菓子も含まれているみたい。
本来ならば神聖な行為だと思うけど、僕はこの風景に違和感しか覚えなかった。
見た場所が悪かったのかもしれない。観光客ばかりがいるところで見てしまったから
そう感じるのかもしれない。
だけどやっぱり、ここで行われる托鉢というのはただの見世物としか思えなかった。
この托鉢は、ルアンパバーンが世界遺産になっているからあえて行われているのだと。
カメラを構える観光客(自分含む)を、托鉢セットを買っている観光客を見て、そう感じた。
違和感は観光客の多さだけにおぼえたわけではない。
それは人々の中を歩く僧侶にもあった。
彼らは表情一つ変えず、もらって当然というように信者の前に来てはおひつを開ける。
”今日の食糧を与えてくれてありがとう”、そういう態度など一切なく、むしろ
”お前らに功徳を積ませてやってるんだぞ”、といった態度のように見えてしまった。
本当ならばお互いが感謝すべき行為のはず。だけどその態度は信者の方にしか見えず、
僧侶の方には全く見て取れなかった。
それが当たり前なのかもしれない。それが当然なのかもしれない。
それでも、僕にはそれはおかしな風景に見えてしまった。
正直この国の僧侶たちのシステムがどうなっているかはわからない。
だけど僕は、この国の(それからタイのも)僧侶が尊い存在だとは全くもって思えない。
僧侶って、なかなかに厳しい修行を積まなければなれないと思っていた。
でもここの人たちは、はたから見たらそうは全く見えない。
お寺のわきで普通に寝そべってたり、道で歩きスマホしてたり、買い食いしてたり。
仏ですら寝そべってるこの国で、僧侶とはいったい何なのだろう。
一応人々の信仰の的ではあるんだろうけど、正直、何か違和感を覚えてしまう。
お寺にいっては、ちゃんと手を合わせて礼をするようにはしている。
だけど僧侶たちを見ると、そんなことをしなくてもいいのかなと思ってしまうな。